動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

ワーウルフ:ジ・アポカリプス グランドエンディング

今回の旅の話は、語りつぐつもりはない、と
語り部たるシリー・フットフォールは、そういいました。
マークも、黙ってそれに従いました。

RPGの他に変えられない面白さとして、キャラクターとプレイヤーがイコールではないということがあります。
プレイヤーは知識をもっていても、キャラクターはもっていない。
プレイヤーは、状況を理解していても、キャラクターは知らない。
プレイヤーは喜んでいても、キャラクターは悲しんでいる。
そのギャップを理解しながら、さらに自分ごのみの選択を付け加えていける、面白いゲームだと思います。


逆のこともあると思います。
キャラクターはその世界のことを知っていても、プレイヤーは知らない。
キャラクターはおそらく状況を理解しているけど、プレイヤーはどうしていいかわからない。
キャラクターは何かを思っていても、プレイヤーは何も思っていない。


今回のクライマックスで僕が体験したのは、そのどちらだったのだろう?
僕は、どんな事件が起こり、どう解決されたのかを知っていた。
キャラクターは、すべてが終わったミネソタに帰ってきて、その風景を眺めただけ。
僕のキャラクターはおそらく、何を考えていいのか分からなかったと思います。
そして、僕も、彼をどう導いていいのかわからなかった。


彼に、何が起こったのかを問わせて、理解させるのは簡単でした。
でも、それを知ることはとても残酷だから、僕は黙っていました。
彼に、これから、またここに安息の地を作ろうと誓わせるのも簡単でした。
でも、この地にわずかな希望を見出すことはとても残酷だから、僕は黙っていました。
彼が何もしないことを選ぶのも、また、残酷だと思いました。
一歩ふみ出ても、一歩後ずさりしても、その場にとどまっても、残酷だった。


僕は彼が、アポカリプスを生きぬく為の力と知恵を身につけて欲しいと思ったから、
そのようにプレイしてきたつもりです。
アポカリプスまでは生きぬいて欲しい。そして、できればその後も。
でも、結果的に、こうして何もできない状況に追い込んでしまった。
本当に悪いことをしました。
あと自分にできることは、彼を僕の支配から解き放って、キャラクター自身のもつ力に
任せてみることしか出来ません。


幸いにも、身の回りにはこのゲームが好きで、STまでしてくれる人たちがたくさんいるので、
僕は安心してこのゲームを埋めて、ワーウルフ:ザ・フォーセイクンを考えることができます。
もし何かの機会でプレイすることがあれば、
次は、メイジという種族を憎み、根絶やしにしようと思っているキャラにしようと思っています。
その『理性的』な力で、人々の運命を、消しゴムで間違えた文字を消すかのように、
いともたやすく変えてしまう、そんな怪物たちを、哀れみながらも八つ裂きにするワーウルフを、と考えています。


ワーウルフ:ジ・アポカリプスというゲームが面白いということを伝えたかったので、
恥ずかしかったけど長々と書いてみました。
本当に、好きなゲームです。