動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

W:tFを考える第三回 「この化け物!」

Werewolf The Forsaken Rulebook: A Storytelling Game of Savage Fury

Werewolf The Forsaken Rulebook: A Storytelling Game of Savage Fury

Werewolf:the Forsakenについて、考えている。
基本的には、不定期に何か思いついたときに、言葉足らずな程度にまとめていくというスタイルで気楽にやりたい。
3回目となる今回は気楽にやりすぎて、若干過激な内容になってしまった。


だけど、繰り返すように
あくまでこのW:tF考は個人的な考え方であることを断っておくし、
僕はW:tFのことを知らないのであって、少しずつ現時点の気づきをメモしているにすぎない。
これをもってW:tFの正当な解釈と見られてしまうことを、僕はただただ恐れるのだけど、
幸いにも、あまり鵜呑みにしたいと思うような内容でもないだろうとは思う。
そして、もう一つ。
W:tFは小難しく理屈っぽいゲームなどとはほど遠い。
僕は論考のための論考をしているつもりはまるでなく、
ただどうすればワーウルフの魅力を伝えることができるのかという初歩的なことを考えているだけなのです。


さて、第3回のテーマはウラサは人間かどうかということである。



Harmonyの扱いをどうすべきか、ということについてあれこれ悩んできた。
そのつもりだった。
しかし、僕の考えていた問題の焦点は、もっと違うところにあったのかもしれない。
悩んでいたのは、『morality(=道徳)の扱いをどうすべきか』という問題だったかもしれない。


ワーウルフのキャラクターメイキングをした瞬間に、moralityは消えうせる。
最初に人間のキャラクターを作らせる、というルール上、moralityは当初確かに存在し、
ワーウルフのテンプレートをかぶせた瞬間に、事実上消えうせるのだろう。
(実は完全に消えていないとする考え方もあるだろう。
この部分に結論を出さないほうが実際のセッションでの混乱は少ないはずだ)


そして、『Harmony』だけが残る。
ウラサとしての新しい道徳観。
moralityとは独立した道徳観だ。
僕がこれまで、いろいろなことを考えるふりをしながら、認めまいとしていたのは、
彼らを『この化け物!』などと罵倒してしまえるという事実だったのだろう。
しかし、『Harmony』だけが残るということを冷静に受け止めてみようと考えはじめた今、
僕は喜んで彼らを罵倒しよう。


ウラサは化け物だ。
彼らがその獣の口から何をいっても、
たとえ彼らの語り部(Cahalith)が美しい言葉で嘆こうとも、
たとえその瞳から涙を流してみせたとしても、
彼らの心に、Moralityはないのだ。
彼らは化け物なのだ。
このバケモノ! 
人の心を失った化け物め!
お前は、『なぜ』人を殺してはいけないか思い出せるか?
俺が教えてやろう。
お前たちは、ただ、そう誓った(Oath of the Moon)からだ!
それ以上でもそれ以下でもありはしない。


怒りを忘れるな。
怒りを忘れない限り、お前はまだ人間かもしれないのだから。