動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

ヴェニスの商人

解題における、『シャイロックは悲劇的人物か喜劇的人物か』という考察をみて、思うところつらつら。
そも演劇というものは、読み物としての性格だけでなく、必ず上演されるということが重要なのだなと。
役や物語に対して、各々が『腹を決めてから』それが演じられるとこの本にはある。
そうなると、シャイロックという人物に対する二者択一は、物語がしかけた挑戦のようにも見える。


RPGのシナリオも似たような性格を持っている。
必ずプレイされるということだ。
プレイする時には、GMは物語やNPCに対して腹を決めるのだ。
GMが腹を決めることを要求するシナリオは、
そこで腹を決められないと、上手くいかないこともある。
ローズトゥロード『さよならの城』で、乙女に対して腹を決められなかった僕は、
GMとしてシナリオを終わらせることができなかった。
とても好きなシナリオだ。
僕が(そして多分僕の仲間も)今まで好きだったシナリオには、多分にそういう傾向があったと思う。
腹を決める余地のあるシナリオと、GMが決めたその腹を、
僕は面白がっているのかもしれない。


プレイ可能か不可能か、ではない。
するかしないかだ。
腹を決められるかどうか。
つまりは、シナリオを読み『何を考えたか』ということなのだろう。
その意味でシナリオは読みものでもあり、
GMはシナリオを読み、そして『腹を決める』という楽しみを許された読者でもあるかもしれない。
その楽しみを読者自身が放棄してしまうことほど悲しい事はない。


RPGは特殊なゲームではない。
何かを伝えようとすれば、その方法は、さまざまな物に似てくるのだ。


自分でも良くわからなくなったが、またメモがてらゆっくりと加筆していこうと思う。