動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

ワーウルフのこと(番外)

先日ワーウルフ:ジ・アポカリプスをプレイした。
いざキャラクターを作ろうと思ったら、基本的なことをすっかり忘れていて、
ルールブックの小説読んで、マンガ読んで、トライブブックをちょっと眺めて、
ようやくいろいろ思い出せた感じ。


W:tAをプレイする機会が今後多いとも思えないので、
今回のゲームでは思い残すことがないように挑戦をしようと思いたつ。
最近はずっと楽なキャラを作るというか、自分の許容範囲でキャラを作る事が多くて、
RPGを学んでいたころのような、「こんなキャラに挑戦したけど、ダメだったよ」みたいな反省が無くなっている。
知らないゲームならいざ知らず、好きなゲームくらいずっと無理をしていたい、ということで、
ブラックヒューリーかラガバッシュをやろうと。
ゲームシステム的にはヒューリーは『部族」だし、ラガバッシュは『宿月』なんで両方を選択できるのだけど、
部族と宿月をくっつけた時に生まれる膨大な有機的変化に、責任をとりきれないのがこのワーウルフというゲームだ。
(もっと言えば、狼生まれの狼腹もやりたかったのだが)


ワーウルフが、覚悟が必要なゲームだと気づくことは少なくない。
例えばクトゥルフで探偵のキャラクターを作った時に、
『お前の考える探偵はそういうのなの?』といわれても別にあまり困らないし、
ましてブレイドオブアルカナでコロナを選んだ時に
『お前の考える王族ってそういうのなの?』といわれてもお互いニヤニヤするだけだろうから、
それは畢竟覚悟がいるゲームではない。
ブラックヒューリーは女性だけのワーウルフ部族。
ラガバッシュは生まれつきトリックスターの道を運命付けられたもの。
どちらも、覚悟が必要だろう。
とはいえ、ワーウルフはいつも難しいゲームというわけでもない。
今回はハッピーフィートのパクリでもやろうかしらなんて気楽に思ってる時は、
覚悟なるものに煩わされる事はない。
しかしふと一瞬でも立ち止まってしまい、しかるにワーウルフとは、などと考えはじめると、
たちまち難しいゲームとなるのだ。
このことは、WoDがキャラクターメイキングの際にキャラクターコンセプトを強く要求することと大いに関係がある。


そんなこんなで、結局今回も僕はラガバッシュを見送った。
ラガバッシュもこのゲームと同じように、
『できる』と思っているうちはできるが、
一瞬でも『できるのかな?』と思いはじめるとできなくなるものである。
そして、もう少しいえば、ラガバッシュをあきらめると言う行為自体が、
すでにワーウルフというゲームが人知れず始まっていることを意味しているのだ。


しかし、ブラックヒューリーを調べてみて、ようやくワイルドがなんだったか理解したよ。
今までほんとに自分の都合のいいところしか読んでなかったんだな。


今日の一言
「狼腹はイヌから生まれたワーウルフで、最初の変身まではイヌとして生活していました」