動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

伏 鉄砲娘の捕物帳

伏―贋作・里見八犬伝 (文春文庫)

伏―贋作・里見八犬伝 (文春文庫)


この映画は、自分の中で全然終わってなかった。
少女浜路は江戸の街から犬のような怪物「伏」を鋭く見つけ出し、命を奪っていく。
その中で現れたイケメンの伏「信乃」を追ううちに、
伝説に語られる里見家の因果に巻き込まれていく、みたいな話で、
伏せの動きも壮快だし、
異種ラブストーリー好きだし、
通してみると、ちゃんと「動物を物語るということ」というテーマになっていたので、
いかんなあと思う点もいっぱいあったけど、結構いいもの見たなーと思ってた。



でも、どうもレビューとかを見てみると評価がめちゃくちゃ低くて、
みな、口を揃えて「原作のすばらしさをオミットしている代物」という。
そりゃ、気になるよってんで、原作も買ったのだった。
原作は、はっきり言ってすごく読みにくい。
児童文学読むことが多い自分には、文体が合わないということもあるけど、
前半の「贋作 里見八犬伝」がまるまる載っていたところで、力つきて
長らく読むのをやめてしまっていた。
そして、今回、レビューを書くにあたってまた読み始めてみて、
後半の、伏が語る物語にはいったとき、ようやく、この小説と、映画が理解できた。



映画は、原作を1から10までバラバラに分解して、
語り手をかえて、再び組み直したものだ。
小説と映画はこの物語の光と影。
つまり、この映画こそが、「贋作 伏」と呼ばれるべきものだったのだ。


小説は、人間と、伏が交互に語り合う物語をテーマにして、
その格子模様を誰かが外から眺めているような語り口だった。
その誰かは、とにかく論理的で、誤解を恐れ、正確な言葉を選んで慎重に物語っていた。
それに対して、映画では、ほぼ人間の側からの視点で、奔放に物語が語られていたように思える。
ただ、それを物語っていたのは誰だったかというと、そこに闇があって、
そこに伏たちの目があったのではないか。
これは、伏たちの口による、一人の人間と一匹の伏の物語だったのではないか。


小説中で、伏たちが、一つの歴史として「贋作 里見八犬伝」を読み、
魂を燃やし、自らのルーツを確認したように、
この映画を「一つの歴史」として見た、今を生きる伏たちが、
魂を燃やし、人間の世界で生きていく糧となる物語なのだろうと
そんな気がした。


いくらなんでもさすがにちょっと考え過ぎかなと思って最後まで読んでみたけど、
あとがきにもしっかり同じことが書いてあって、なんだか安心したよ。


動物映画として比べると、ほかにお勧めしたいものはあるのは確かだけど、
これも、すごく印象の良かった作品。