動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

ブレカナ探訪 第二回 変化ということ

エピックプレイにおいて、
なぜ歴史家(あるいは詩人)の視点でキャラクターを表現するのかということが、
気にかかっていた。
でも、それはある人の言葉で氷解した。
エピックプレイは、キャラクターの同一性に対する疑問の発露であり、変化の表現であると。


なるほど。
ブレカナは元来、キャラクターの同一性を保持することに優れたゲームであったのだなあ。
それゆえに、キャラクターの変化を表現するには、
『アルカナを入れ替え、主に能力的側面を変化させる』(そして、それをキャラクターシートに書く)という方法しかなかったのだなあ。
なるほど。
確かに、詩人(あるいは歴史家)はいつでも、
その主人公たちに、物語に必要な『特定の力』を発揮することを明らかに求めているのだものね。
(自己完結しててよくわからないことを書いてしまったけれども、
FEARゲーの分析をして怖い目にあうのが嫌なので、言葉足らずなところでやめておきます)


このブレイド・オブ・アルカナというゲーム、本当に面白い。
いったいどこまでが世界で、どこまでが人間で、どこまでが神で、どこまでが物語なのか、
僕はだんだんわからなくなってきた。
疑問はつきない。


そんな『最新の』変化の表現が、RPG界にあらわれた今でも、
セッションを重ねたキャラクターが、
データによって示されることよりも何倍もの人生を滲み出させるという神話を、
僕はかたくなに信じている。
僕のローズトゥロードのキャラクターシートに書かれている無数の『ガラクタ』は、そんな変化の道しるべたちだ。
僕のキャラを育ててくれたGMのみなさんに千もの感謝を! 
またこのキャラでゲームしたいものですなあ!