動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

Parlor Gamesシナリオ評のようなもの

先日発表されたワーウルフ:ザ・フォーセイクンのオフィシャルシナリオ、
『Parlor Games』の出来にいちいち驚いている。
よいシナリオがそうであるように、
このシナリオもまた、WtFのシナリオメイキングに、かなり直接的なアドバイスをしてくれている。
そのアドバイスの一言一言を、非常に心地よく感じている。


例えば、
ワーウルフのシナリオは、self-motivatedである時に、多彩な物語を描く」
という説についてはどうだろうか。
確かにワーウルフというRPGは、ウラサという自律的な生物種をプレイする以上、
かなり意図的にそのようにデザインされているのだが、
一個人の立場でこの事を主張するのは簡単ではない。
まして、彼がストーリーテラーであって、プレイヤーにそのことを伝えたい場合は、難しい。


なぜなら、WtFに限らず多くのゲームは、self-motivatedであるほうが楽しいだろうし、
ストーリーテラーは、ゲームに参加してもらうために、動機を「配る」ことを考えねばならないのは確かだからだ。
そのことを踏まえてなお、ワーウルフというゲームが、self-motivatedにこだわって妥協しないならば、
それはゲームとしての欠陥と考えることもできる。
なぜそうなのか、ということが省みられることにわずかな期待を抱くのもつかの間、
欠陥のあるゲームは、人々の選択から自然と外れていく。
そうした打算が一度働いてしまえば、それを振り切ってまで主張したいことなど、そうそうあるものでもない。


だが、このParlor Gamesは、人目を憚ることなく、ワーウルフとはそういうゲームだよ、と言ってのけるのである。
「悲しいかな、ワーウルフというゲームはそうなのだ」
と、彼は全てのストーリーテラーの背中を押す。
そして彼は続けてこう言うのだ。
「だって、そのほうが面白いじゃないか」


・追記
Parlor Gamesには丁寧に動機が用意されている。
念のため。