動物映画D20

動物映画をたんたんと見続けるコヨーテなのでした。 

古い友人と遊ぶ

ゴールデンウィークの連休に、特にどこかに行く予定がなかったけれども、古い友人と遊ぶ予定がたったので遊んできた。
彼らを訪ねて行くときはいつもだけど、昼間から初めて終電近くまで飲み続けて、話し続けて、お子さんたちとも対等に遊べて、とてもよかった。
いつもはあまり強くなくて2、3杯しか飲めないお酒も美味しく飲み続けられて、結構たくさん飲んだり食べたりしたと思う。
でも、とても楽しい気持ちで帰路につくことができた。


僕は本質的にはコヨーテであって人間のフリをして生きているだけなので、あまり人間との付き合いがうまくなかったりする。
(だから、人間と話すことがないのでいつもコンテンツの話しかできないし、その話が必要とされていない場所ではほんとに一言も話せなくなってしまう)
けど、野生動物ががんばって人間の言葉を喋らなくてもいい空間はとても心地よく感じるし、かけがえのない体験だなといつも思う。
次の予定を決めることができるのも嬉しいし、それを楽しみにしてくれるのも嬉しい。
こういうことって、シンプルだけどどんどん難しくなっていくよね。

昔、TRPGのサークルをやったときに、その中心テーマを「野生と都市の中間地帯(サバーバンであり、バッファーゾーン)」としようと考えたことがあった。
その時は、メンバーにあえてその「野生」と「都市」の認識を逆にした哲学として説明しようとして、まったくなにも賛同を得られなかったことを覚えている。
彼らは、自分たちを「野生」と捉えていたが、僕にとって彼らは「都市」の象徴であったから、そこを隠して話をしてみる、というコヨーテの性分のいたずら心でもあった。

それから何年も経って、また自分の生きている場所を思うに、だいぶ人間の世界の中心に近づいてきた感じはあるけれども、やはり辺境より少し外、油断しているとすぐにボロが出て命からがら逃げ帰ることになる。
セントラルパークやアリゾナの球場に現れるコヨーテ的な生き方かもしれないなあと思う。

 

休みの最終日も、古い友人が訪ねてきたので、居酒屋で人間の話をした後、二人とも野生本能を抑えきれずゲームセンターに行って閉店までスト2をした。
ノーマル本田のしゃがみ小P(腕にくらい判定がない)による、非言語コミュニケーション。
やはり野生動物はこうでなければならない。