『野馬追』を中心としたドキュメンタリー映画。
福島県では、競馬、野馬追い、また食肉用と、様々な目的で馬を飼育している。
あの震災で、人間が立ち入り制限となった20km圏内にも、まだ馬たちが生きていた。
あの災害を運良く生き残ることができた彼らだが、
まるで、生き残ってはいけなかったとでもいうかのように、
馬たちは災害行政の狭間にとらわれ、身動きができなくなってしまう。
その中で彼らを生き延びさせようとする人間たちを、
一匹の馬にフォーカスすることで語りつなげた作品。
……あの震災のとき、自分は、ネットで緊急配信されていた各局のニュースをながめながら、
『動物たちの災害が始まるとき』とは、みたいな事をぼんやり考えていた。
そんなことを考えられたのは、僕が運よく難を逃れたからできたことで、
そうでなかった人たちがいたことを知っている。
動物映画を趣味とし、動物と人間の幸せな未来を祈っている、なんていいつつ、
動物たちは、今、どうしているのだろう?
これから、動物たちは、どうしていくのだろう? ということを、
しっかり見つめなければいけないと思いながらも、
結局、この映画のように、人に録画してもらったものでしか見ることができないのだから、
自分は動物の物語を語る資格がないといっても過言ではないのではないか。
その思いがずっとあって、少しづつ動物や動物の映画を語るのが億劫になってしまっていた。
でも、動物映画が好きだから、資格がなくたって、
動物映画を見てもいいんじゃないかと思って、なんとか見に行くことができた。
内容は上に書いたとおりで、
大事なことは、作中で余すことなく語られているので、
ぜひ見ていただきたいんだけど、
特に心に残ったのは2つ。
ひとつは、馬たちを「生き延びさせない理由」を、
当事者たちに語らせていたところ。
あの語り口には、日本でのウマと人間の距離感と、
距離感という言葉では語れない歴史と絆がつまっている。
動物を語るというのは、こういうことだと思う。
もうひとつは、ウマに焼印を押すシーン。
震災前と震災後というスケールを超えて、『過去』と『現在』の時空が、
まるで良質なファンタジー作品を見ているかのような説得力で、つながっていく。
動物を語るというのは、こういうことだとも思う。
祭の馬は、人が動物を語るということのすばらしさと怖さを改めて感じられる映画だった。
震災があって、いろいろなところで、人々の心が離ればなれになってしまった世界だけれど、
それだけのことでは、馬と人間の絆は消え去ることはないし、
それすらも、僕たちの歴史の1ページにすぎないのだ。
逆に、だからこそ、彼らを追いて、自分たちだけが元の世界へと「復興」していくことなどできないのだと
そんなことをつらつら考えることができた。
観賞後、運よく監督のトークショーに参加することができたので、
僕は『なぜ馬の映画を撮ったのか』それだけを聞きたくて、質問をしようかと思っていたのだけれど、
監督は、そのことも含めて、動物の映画を撮ることの功罪みたいなのをしっかりと語ってくれて、
変な言い草だけど、『あの人が動物の映画を取ってくれて本当によかった』と思った。
これこそ、正真正銘の動物の物語だ。
2013年動物映画ランキング第2位。
物語 4 (物語があった)
キャラクター 4 (出てくる人間に魅力があった)
動物 5 (動物が描かれていた)
ファンタジー 4 (隠し切れないウマと人間への思い)
総合 4 (忘れえぬ名作)
お値段 2500円